
御徒町通り会について
About okachimachi torikai
御徒町通り会とは
About us
御徒町通り会は上野松坂屋からNTTに至る春日通りの両側及びその周辺の商店街です。上野3、4、5、6丁目に位置し、JR御徒町駅のみならず銀座線、日比谷線、大江戸線の三本の地下鉄が交わる交通の要衝です。生鮮食品からファッション、飲食、高級時計、貴金属と魅力ある商品や体験にあふれるまちです。
当会の歴史は古く、JR御徒町駅と松坂屋を結ぶ通り会として戦前から大変な賑わいを見せていました。昭和26年5月に通り会も商店街としての形態を整えるに至り、アーケードを設置し、昭和57年3月にはアーケードを改修しました。地下鉄大江戸線工事の際にアーケードを撤去、大江戸線開通後は現在のオープンモールの姿になりました。

会長ご挨拶
Greeting
御徒町通り会会長の飯塚で御座います。
東京都台東区に有ります御徒町の語源は、ご存知ですか?
都が江戸に移り、大名行列の先頭を歩き行列の安全を担って、江戸の安全安心を守って来た御徒が住んでいた町と言うのが、御徒町の名前の由来です。
ですから、御徒町 通り会は、来街者の皆様が、安全で楽しく御徒町で過ごして頂ける様、商店街会員一同日々努力致しております。
皆様のお越しをお待ち申し上げております。
飯塚勝彦
御徒町通り会の歴史
History

江戸
この界隈では江戸城や将軍の護衛を行う下級武士が数多く暮らしていました。馬には乗らず歩いて警護を行う御徒(徒士、かち)は御徒町の由来となっています。禄(現在の給与)だけでは家計をまかなえない徒歩たちは刀の鍔を作るなど手先の細かな内職をし生活を支えていました。当時は消防組織として火消が存在し頻発する火事に対応する防火・消火制度として定められ、武士によって組織された武家火消(ぶけびけし)と、町人によって組織された町火消(まちびけし)に大別されました。現在のこのまちの防犯意識はこの頃から受け継がれてきたものです。
昭和
後半から大正にかけて、御徒町界隈には寄席、見世物小屋が並び東京の一大歓楽街を形成しました。牛肉や天ぷら、おでんといった屋台、料理屋から射的、玉ころがしなどの娯楽ができるなど大変な賑わいを見せました。戦後は問屋商店、飲食店などが出店し、現在の商店街のかたちが整ってきました。宝飾品や高級時計といった精密な商品を扱うお店が多いのも、かつて住んだ徒歩組たちの職人気質がまちに根強く残っています 。火消しの防犯意識は今も受け継がれ、防犯カメラの整備や年末の防犯防災パトロールなど安心安全な、まちづくりが行われています。


平成
地下鉄大江戸線工事の際にアーケードを撤去し、大江戸線開通後は現在のオープンモールの姿になりました。現在、オープンモールには装飾がつけられ、年末のクリスマス・イルミネーションは上野の冬の風物詩となっております。通りには、現代的なビルが立ち並ぶようになりましたが、昔の情緒を伝える店舗が懐かしい雰囲気を伝えてくれます。日本を代表する上野公園や上野摩利支天などの寺社仏閣、ショッピングへのアクセスに優れたこのまちは平成・令和と昼夜を問わず多くの人々で賑わいを見せます。